T教諭に捧ぐ⑧

 T先生より1年早く異動し、3校目の3年目から教務主任を経験することとなりました。ここでも、T先生の教えを生かすことができました。できるだけ細かく提案することで、個々の職員の役割を明確にしていきました。特に、若い職員の供給が全く止まっていた時期でしたので、分掌会議や職員会議を簡素化し、余裕の出た時間を活用して、研修の内容を深めることがで…

続きを読むread more

T教諭に捧ぐ⑦

 火鉢、ちゃぶ台、茶だんすなどが集まり始めました。「先生、これは座敷がいりまっせ。すぐに材料集めますわ。」と、地域から声がかかります。すでに、夏季休業に入り、秋の記念式典に向けて、日程の余裕はあまりありません。  そんなある日、朝7時過ぎに、T先生から電話が入ります。「朝から畳を運び込んだんじゃが、どうにもはまらんのじゃ。助けてくれん…

続きを読むread more

T教諭に捧ぐ⑥

 勤務校が、創立30周年を迎えることになりました。当時の周年行事は、PTA会費の積み立て金ばかりではなく、バザーなどを行い、ある程度余裕のある資金の中で記念事業を行っていました。そこで浮上したのが、地域をテーマにした周年行事とし、余剰教室を利用して「郷土資料館」を作り、周年の冊子も、3年生の社会科の副教材になるものを作ろうというものでし…

続きを読むread more

T教諭に捧ぐ⑤

 ある年、「子ども達が、縦割り集団活動で、駅伝大会を計画しているんだけど。」と、児童会担当から相談がありました。T先生と私は、児童会の本気度を知るために、児童議会に同席させてもらいました。児童議会では、大会の意義や運営方法について、白熱した議論が交わされていました。下校時間をはるかに過ぎ、10月の7時は、あたりも真っ暗です。児童議会に出…

続きを読むread more

T教諭に捧ぐ④

 転勤して3年目、再び5年生の担任を命ぜられました。在籍120名の3学級でスタートする予定でしたが、春季休業中に転入があり、4学級編成となりました。異動してきた校長の最初の仕事が、講師の手配と、5年生の担任の再編成でした。急遽、低学年で決まっていた経験豊富な先生が5年生に入られました。  ところが、今度は年度途中での転出が相次ぎ、6年…

続きを読むread more

T教諭に捧ぐ③

 できあがったU字釘を、早速、運動場に打ち込んでみました。案の定、曲がってしまったり、U字の部分が広がるばかり。やはり、焼き入れをしないとだめなようです。専門家に問い合わせると、青酸カリが最も焼き入れに適しているという返答が。しかし、取り扱いできる人間がいないので、廃油で焼き入れをすることにしました。  近隣の小学校の陶芸釜を借用し、…

続きを読むread more

T教諭に捧ぐ②

 出会って2年目、私はそのまま体育主担の仕事を続け、T先生はサブでついてくださいました。T先生に主担になっていただき、私がその下で学ぶという選択肢もあったのですが、「体育主担は1人でええんや」というのがT先生のポリシーで、私がそのまま主担を続けることになりました。同時に、「他人に任せるんじゃない。自分で動いて、他の先生が気持ちよく仕事が…

続きを読むread more

T教諭に捧ぐ①

 人生、いかなるときも、「人との出会い」というものが、重要な位置を占めています。人と出会い、いろいろな影響を受け、仕事観や人生観が変わっていくものです。私も、仕事を通してたくさんの人と出会い、様々な影響を受け、何とか退職まで辿り着くことができました。その中でも、多くの影響を受けた師と仰ぐ先生の一人が、T先生でした。残念なことに、退職後7…

続きを読むread more

校務分掌で人を育てよ

 私が職場を去る頃、現場では戦後3回目の大量採用時代を迎え、若い人たちが職場にあふれていました。最後に勤めた学校での8年間は、この若い人たちをどう育てていくのかというのが、私にとっての大きな課題でもありました。  教師の仕事は、大きく、「学級経営(教科指導も含め)」と「校務分掌」に分けることができます。初任者達には、目の前の大きな仕事…

続きを読むread more

学校規模適正化計画

 私が退職する1年前に、勤務していた自治体において、「学校規模適正化計画」が策定されました。政令指定都市の隣という立地でありながらも少子化が進み、単級学年を持つ学校が増えてきました。多くの学校の敷地には借地も含んでおり、行政的な視点にあっては、今後、小・中学校の統廃合を進めることが適切であると判断されたのでしょう。  では、行政は、ど…

続きを読むread more

優遇措置

 私の妻は、教員免許更新制度が導入された年の、初めての更新対象者でした。前例のないことですので、全てが手探り状態。更新の単位を取得するための講座の情報も不足し、申込先のほとんどが既に定員を超えているという状態でした。夏季休業に入り、やっと講座の申し込みができたと思えば、その講座の日程が日番勤務と重なり、今度は、日番の交代で四苦八苦すると…

続きを読むread more

小中一環教育

 時代は、小中連携から小中一貫教育へと移り変わり、全国そこここに、小中一貫校が誕生しています。退職間際、いくつかの小中一貫校の研究発表に参加しましたが、研究指定校と一般校の間には、大きな違いがありました。  我々が普段勤めている一般校で小中一貫教育を推し進めようとする場合、まず、小中一貫教育の内容を十分理解できている「コーディネータ」…

続きを読むread more

学校選択制は有効か?

 この内容は、2013年頃に書いたもので、現状とは少し食い違うところもありますが、当時こんなことも考えていたんだなとふりかえりながら掲載します。  群馬県前橋市、長崎市ではすでに廃止され、東京都区部でも多くの区が廃止か廃止に向けた検討がなされている「学校選択制」ですが、これを今から導入しようとする自治体があることに驚きを隠せません…

続きを読むread more

データで勝負

 学期末になると、バタバタと忙しいそうにたまった教材をこなそうとする私に、ある教頭がこんなことを言いました。「計画的に進めることはもちろんのことだが、別のことをやり過ぎて、肝心の各教科等の時数がこなせてないんじゃないか?」今では想像もつかないことですが、20年ほど前までは、私は授業時数についてそれほど厳密に考えていませんでした。この年か…

続きを読むread more

校務分掌の見直し

 私が採用された頃は、児童数も減少傾向に入り、各学年5学級以上あった大規模な小学校から、各学年3学級の中規模な小学校に生まれ変わりつつありました、大規模な小学校時代には、校務分掌の人数にもゆとりがあり、各学年からそれぞれの分掌にまんべんなく人員を配置することができていましたが、3学級になると、当時の多くの学校が採用していた、分掌を研修、…

続きを読むread more

職員会議を迅速に

 職員会議の日は、いつも憂鬱でした。会議が長引くことが多く、終業時刻を越えることも日常茶飯事でした。ある年に、終業時刻が15分繰り上がりました。私は、それを機会に、新たな職員会議の進め方について提案をしました。  提案するにあたり、それまでの職員会議における無駄と考えられる時間を洗い出しました。その結果、提案文書の配布と提案の仕方に問…

続きを読むread more

教務を担当することになって

 教務主任という仕事につく場合、より上のポストへ進むための踏み台として仕事を捉える場合と、平場の立場でのしがらみのなさからリベラルに仕事を捉える場合の2つの側面を、諸先輩の姿から学びました。より現場改革に有効な立ち位置とは・・・。  教務を担当することになって、最初に取り組んだことは、年度内に翌年度の年間行事計画を確定させることで…

続きを読むread more

テレビ取材

 学校がテレビ取材を受ける場合、慎重に事を運ばなければなりません。なぜならば、バラエティー番組は当然のことながら、報道番組においても、局側が一定の方向性を持った状態で取材され、我々の思いや願いが上手く伝わらないことがあるからです。  外国語活動が導入される以前から、私の勤務地のとなりの自治体は英語教育特区の認定を受け、小学校1年生から…

続きを読むread more

連絡会から教科部会へ、そして・・・

 中核教員連絡会が解散したあとも、外国語活動の研究組織が必要となります。そのために、市教研の中に外国語活動部会を新設することとなり、中核教員連絡会の推進委員が中心となり、中学校の英語科の教員も含め、10名程度でスタートすることとなりました。  中学校の英語科から部員を迎え入れるとができたことは、大きな意義がありました。小学校の「外国語…

続きを読むread more

中核教員連絡会

 府の中核教員研修が始まり、外国語活動の導入に向けて具体的な動きが始まりました。  私は、市の教育センターで中核教員研修を担当する指導主事に、中核教員の横のつながりを密にするための、中核教員連絡会を開催するように依頼しました。というのも、各校から研修に参加する中核教員の顔ぶれを見ると、採用2~4年目の若い先生がたくさんいたからです。伝…

続きを読むread more